【実話怪談】深夜に響く謎のサイレン~鳥取砂丘(1970年代)

昭和京都の怪談綴りの昔の鳥取砂丘風景



小学生の夏休み。


家族で鳥取の親戚の家へ泊まりに行った時のお話。
それは今でも楽しい思い出ではありますが・・どうもいくつかおかしな記憶があります。
あれは心霊だったのか、または別の何かだったのか・・ 今となっては知り得ない遠い日の実話怪談をここに書き綴ってみます。

1.鳥取砂丘の軍人さん

夏休みに田舎の親戚の家に泊まる、子供にとっては実に胸が踊るイベントです。
見たこともない珍しい食べ物、海水浴、花火。

忘れられない楽しい思い出は家族みんな共有しているはずが
私の記憶だけが明らかに別の物が混ざっておりました。

京都からは長い旅を経て到着して、すぐに観光名所である鳥取砂丘へ連れて行ってもらいました。
ひ弱な子だった私は、みんなの歩くペースに着いていけず、わんわんと泣き叫び、みんなが私の方を見て爆笑しておりました。

砂煙と蒸気のあがる不思議な光景、真夏の暑さ、、あれは幼い私なりに、かなり怖かったのです。

すると、呼吸困難的に泣きわめく私を後ろから体を支えてくる人がいました。
振り替えると、軍服を着た外人さんが数人いました。

軍人さん達は日本語が出来ないようで、何かわからない言葉で喋りながら
私を家族たちの元へサポートしてくれました。

家族は「凄いやん!よく頑張って歩いたな!」と誉めてました。

そのままぞろぞろと、砂丘に設置された馬車のような物に乗ったのですが
そこで軍人さん達はニコニコしながら見送ってくれました。

 

2.子供たちの肝試し

親戚の家では、サプライズ的なお楽しみイベントを用意してくれてました。
田舎ならではの、大きな古屋を使った胆試しです。

夕食後に、子供は外に出されて、大人たちがセッティングに入ります。

昭和京都の怪談綴りによる大きな古屋で肝試し


外には、軍人さんも何人か来てました。
親戚の知り合いなのか、子供の私には全然わかってなかったのですが、この町はそういう町なんだなってくらいに思ってました。

子供たちはそれぞれ、一人ずつどんどん入っていきますが、めちゃくちゃ怖がりの私は、順番が回ってくると泣き出しました。
しかしまた軍人さんの一人が、私の肩に優しく手を添えて、一緒に入ってくれました。

この辺りは凄く曖昧な記憶で、鮮明に思い出せないのですが、この胆試し自体は確かに行われたそうです。

その夜、私の家族は二階の大きな寝室で寝ました。
私はたくさん遊んで、疲れてすぐに寝たことだと思います。

3.恐怖のサイレン

夜中に大きな音で目が覚めます。
幼い私が初めて聞く音でしたが、これは「サイレン」だとわかりました。

救急車や消防車、パトカー、ロボットアニメの基地のサイレン
そういった私が知っていたサイレンの音とは全く違います。

yoyotoru.photo-web.cc


しかし、地響きのような低く大きな音に、当時の私にもそれがサイレンだというのはわかりました。
一体なんだろうと思い、起き上がって部屋を見渡します。

豆電球のオレンジ色の照明の中で、家族はみんな熟睡してました。
それでもサイレンは鳴りっぱなしで、窓のほうへ行きます。

昭和京都の怪談綴りによる鳥取の暗い古屋の和室


窓は開けてあって、網戸を開けて外を見ますが
ただただ、けたたましいサイレンの音だけが鳴っていました。

怖くなった私は、両親や家族を起こそうとして振り返ると、部屋には誰もいなかったのです。
あまりの事態に、ドクン!としたところで目が覚めます。
深夜のサイレンは、夢だった、ということです。

この夢はトラウマレベルで怖い記憶なので今でもハッキリと覚えております。
楽しかった二泊三日のお泊まりもいよいよ終わり、親戚やご近所さん、そして軍人さん達に見送られながら、父が運転する自家用車で帰りました。

手を振る優しい軍人さんたちを見ると、泣き虫の私はまたわんわん泣きながら手を振りました。

 

4.それから10年後。

ある日、高校から帰って来て、家事をする母親と喋りながらバイトへ行く準備をしておりました。
ふと思い出した、小学生の頃の鳥取のお泊まりの話でした。

私「あの時ずっと居た外国の軍人さん達って、おじさんの知り合いとか?」
母「え?あんた何言ってんの?外人さん?軍人さん?」

そうです、タイトルにある年代をよく見てください。

いくら昭和と言えど、海外軍人が街をうろちょろしているような時代ではありません。

かつて鳥取では、その尊い命を失ったロシア兵達を、地元の人達が丁寧に弔ったそうです。
以下のリンクは、都市伝説ではない史実となりますが、おそらくはこういう事だったのではないかと考えております。

www.pref.tottori.lg.jp